天 命

 
   
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大黒天に喜ばれる生き方をする。

●日本人の英語教育を通して私は世界で活躍する
 多くの優れた日本人を輩出する。

●感謝され、役にたつ生き方をする。
 感謝され儲からないということはない。(繁栄思考)

●波長を大黒天に合わせる。仏の発展・繁栄の属性に波長を合わせる。






 

発展思考 第1章 豊かさとは何か P52

例えば、いつも、「よいものを売りたい」「よいサービスを提供したい」という気持ちで商売をしていると、その恩恵を受ける人は、大変な数になっていきます。「たかが物ではないか」と言って、ばかにしてはいけません。コップという製品一つとってみても、「真心を込めてつくられているかどうか」ということは、使う人に影響を与えるのです。

  すなわち、「悪くても売れればいいや」「本当は定価よりずっと安いコストでつくっているのだけれど、まあ、いいや」など、ペロッと舌を出すような思いでつくられた物を使っている家は、なんとなく調子が悪くなります。逆に、「よい仕事をしたい」という熱意に満ちた人がつくった物を使っていると、その家の中の波動はだんだんよくなっていくのです。

 

《私の弟の解釈》

 

仏光物理学の第二テーゼ「仏の光はその凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行なう。」

おそらく、商品やサービスに善き念いや悪しき念いを入れ込むことができるのだろう。

 

仏光物理学の第一テーゼ「仏の光は、親和的性質を持つものに出会うと増幅され、排他的性質に持つものに出会うと、それを避けて通る。」というものです。このことから、念いを入れ込まれた商品・サービスが善か悪かにより、善ならば、よきことが与えられ、悪ならば、悪しきことを引き寄せるものと考える。

 

仏光物理学の第三テーゼ「仏の光は周波性を持つ。」ということです。つまり高周波は高周波と、低周波は低周波と合うということです。このことから、高周波の光と親和的性質を持ってもらいたいので出来るだけ商品・サービスには、よき念いを注入する。これは、お客様の調子がよくなりますようにと思うとしても、どれだけ澄んだ心で、情熱を注げるかで、高周波であっても、高下が出るものと予想される。高周波で、あればあるほど、より仏の光が親和的性質により、与えられものと推測する。

 

 

ゆえに、いい商品だと、言い聞かせる。営業に際し、あらゆる善き念いを、商品やサービス、営業そのものに、込める。もちろん、出発点としてよい商品・サービスでなければならない。

 

感謝される営業をする。お客様の調子がよくなっていただくように営業をする。

 

さらに、気づきだが、悪しき心で作られたコップであっても、こちらが、念い を再度入れることにより、善きものに、変化(へんげ)するのではないだろうかと推測する。


 
仏光物理学には、3つの基本命題(テーゼ)があります。

第1のテーゼ……仏の光は、親和的性質を持ったものに出合うと増幅され、排他的性質を持ったものに出合うと、それを避けて通るというものです。

第2のテーゼ……仏の光は、その凝集・拡散というプロセスによって、創造と破壊を行なうということです。つまり、念の力によって、仏の光が目的性を持って凝集すると、そこに、霊的実体が現われる。さらに、その波動を緊密なものにしてゆくと、物質が現われる。その逆に、念による目的意識が解除されると、物質はその形態を失う。霊的実体も、仏の光が拡散を始めると、別なものになる以外は存続しえなくなる。こういう物理法則があるのです。そして、人霊創造のプロセス、人体創造のプロセスは、この仏光物理学のなかの、光の凝集・拡散の法則によって、明らかにされるのだと言えます。

第3のテーゼ……仏の光は周波性を持つということです。つまり、高周波は高周波と通じ、低周波は低周波と合うということです。多次元空間をも含めた大宇宙空間には、仏の光のなかに伝達の意識を込めた念波というものが飛び交っています。しかし、この念波も、同波長のものしか通じ合わないのです。


したがって、地上人でも、高級霊と同様の意識をを持たなくては、高級霊とは感応できません。低級霊と感応しやすい人は、やはり、その意識も、低級霊と同調しているということです。ですから、もし、ある教団に属する人が、「我が教団には、如来界の人と通信できる人が数十名おり、菩薩界の人と交信できる人は数百名いる」と吹聴しているとすれば、これは、まったくの誤解か、さもなければ、誤りだと言えます。
生きながら、如来界に意識の通じる人は、如来の霊格を持った人だけなのです。我が国で、如来界に意識の通じる人というと、どういう人がいるでしょうか。神代の時代の天御中主神、日本武尊を除けば、聖徳太子、空海、哲学者西田幾多郎など、数えるほどしかいないのです。親鸞や道元などは、菩薩です。現代の新興宗教の教祖では、如来と言われるような方はほとんどおりません。正しい宗教人であっても、せいぜい、6次元光明界の人であり、十中八九までは、地獄の悪魔にそそのかされていると言ってもいいでしょう。
さて、仏光物理学の3つのテーゼを説明してきたわけですが、ここで考えなければならないのは、人間の実体も光子体であり、仏の光の性質をそのまま内包しているということです。
第1テーゼにより、愛、善、美、真といった、仏の光に親和性のある心の状態を保てば、幸福な人生が待っています。しかし、憎悪、怒り、嫉妬、猜疑心、愚癡、利己主義などの心の状態を保てば、仏の光を排斥し、やがては不幸を招来することとなるのです。
第2のテーゼにより、光明思想を持っていると、霊的に健全になるのはもちろんですが、肉体も健康です。逆に、心に、悪想念を持っていると、それが病念をつくり、やがて、肉体的にも病気となって現われます。とくにガンなどは、すべて病念が現象化したものですから、仏の光を吸収する方向に心を向けてゆくことによって、すなわち、光明思念を持つことによって、必ず消滅してゆくはずです。
第3のテーゼにより、心を高級霊と波長の合う性質に変えてゆくことによって、幸福がもたらされます。しかし、低級霊と同調すると、だんだんに不幸になってゆくことは明らかです。
人間の心は、仏の光が一定の目的意識のもとに凝集して、創造されたものですが、想念帯という部分が、一種の記憶テープとなっております。そして、仏の光の磁気を帯びているのです。このテープには、その人が、過去から現在までに思ったこと、行ったことのすべたが記録されております。仏の光に親和性のある記述は、金色で書かれていますが、仏の光をこばむような内容の記述は、灰色で書かれているのです。したがって、想念帯のテープを一瞥すると、金色に輝いている人と灰色にくすんでいる人との区別が、はっきりと分かります。
カルマの法則というのも、結局は、この想念帯のテープの色によって、その人の人生行路が色分けされるということなのです。ですから、金色の多い人は、金色の人生、すなわち、光の菩薩としての人生を歩んでゆくはずです。しかし、灰色の多い人は、灰色の人生、すなわち、やがては地獄で厳しい試練が待ち受けているということを暗示しているのです。
しかし、想念帯には、ひとつの神秘的な秘密があります。秘密とは、何か。つまり、いったん灰色で書かれた文字であっても、その心と行ないを反省することによって、金色に変わるということです。すなわち、大いなる改心は、人生を黄金色に光らせるという真実があるのです。

以上、書籍『黄金の法』――エル・カンターレの歴史観 大川隆法著(幸福の科学出版刊)より



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